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読谷教会について

日本キリスト教団 読谷教会 牧師 具志堅 篤イメージ画像

読谷教会について

読谷村は当時、人口2万人で、
教会のあるあたりの部落は四千の人口を数える。
嘉手納空軍基地に近い沖縄の純農村である。

読谷教会の歴史は約100年。
この教会もひとりの信徒の関心によって創立された。

比嘉保彦という小学校校長があった。
一週間の間にお子さんを2人無くすという悲運にあい、人生に疑いを感じた。
はじめ沖縄でユタとよばれる口よせをたずねたりして、自分の心をしずめようとしたがどうしてもだめだった。

那覇で校長の研修会がひらかれた。そのとき教会の看板をみて牧師を訪ねた。
そして那覇まで八里の道のりを歩いて礼拝に通う月日が続いたのである。
土曜日、学校を終えると家を出て夜那覇につく。
日曜日の午前中礼拝に出て、午後はまた八里の道を歩いて夜家につく。
文字通り必死の求道であった。

そして、自分の生きてゆく道は、これ以外にはないと思うようになった。
こうして読谷に伝道がはじめられた。

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読谷教会の会堂と礼拝を終えて帰道につく信徒たち。

写真で見る読谷教会のあゆみ

  • 初代 1912~1945年

  • 2代目 1949 ~ 1951年

  • 3代目 1951 ~ 1986年

  • 4代目 1987年 ~ 現在

  • 1955年頃
    後列左がベッテルハイムに会ったことのある大城平三兄(長門)

  • 1968年 CS生徒大会

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    読谷教会 百年の歩み

    牧師 具志堅 篤

    集会の始まり

    米国メソヂスト監督教会がジョンC・デイビソン師を沖縄に派遣し伝道を開始したのが1887年(明治20)です。1892年(明治25)には長野忠恕牧師が派遣され、1897年11月「日本美以那覇教会」が設立されます。1900年(明治33)長野忠恕牧師の後任として村井競牧師が沖縄に赴任します。
    ヘンリー・B·シュワルツ宜教師もその頃来沖しています。1906年、シュワルツ宜教師は南九州地区責任者として沖縄伝道に関わるようになります。
    当時、メソヂスト派もバプテスト派も「基督教演説会」を共催で開催するなどの伝道協力は普通に行われたいたようです。外に出かけては、町でも農村でも太鼓を叩き、ラッパを吹き讃美歌を歌い、トラクト配布しながらの路傍伝道が盛んに行われました。
    このように宣教師、牧師たちの熱心な伝道か展開される中、後に当教会の初代牧師となる比嘉保彦のキリスト教への入信は起こりました。
    1902年、当時、美東小學校の初代校長として奉戦していた保彦は相次いで二人の変児を失います。
    悲観に暮れる中、ユタや三世相等の占いに答えを得ようとしますが慰めを得ることは出来ませんでした。失意のうちに、那覇教会を彷徨う中、 保彦の目に留まったのか「凡て労する者、重荷を負う者、我に来れ、我汝ら休ません。」《マタイ{専十一章二十八節》の聖句でした。

    間もなく、保彦はシュワルツ博士、村井競牧師らの指導の下で受洗へと導かれます。那覇教会は保彦の母教会となるわけです。保彦は、那覇教会にて大保富哉、佐久原好偲、野原玄三らと共にキリスト教信仰、聖書を学びます。やがて教理が理解できるようになると、救われた喜びを一人でも多くの人に伝えたいという思いは次第に募り、郷里の試谷山村で家庭集会を主宰するようになります。
    シュワルツ専士、村井牧師、那覇教会の信徒リーダーたちの協力を得て家庭集会は軌道に乗っていきます。

    リバイバル起る

    1912年(大正元年)12月20日、佐久原好傳牧師の時代に待望の総イヌマキ材造り赤瓦屋根の大変立派な教会堂が献堂されました。そして、1916年、当教会でリバイバルが起こったと報告されています。佐久原好傳牧師の奏でるバイオリンの伴奏で信徒たちが声高らかに讃美を捧げる中、集会は不思議な雰囲気に包まれ、会衆は聖霊に満たされ、代わる代わる立ち上がって証ししては祈り、主への讃美は会堂をどよもした。当時八歳の照屋岸雄も我知らず夢中で講壇に駆け上がっては証ししたそうです。

    読谷山教会で起こったリバイバルについて、このようなエピソードが伝えられています。「読谷山村に大きな炎が上がっているのが那覇、浦添からも確認され消防車が出勤したそうです。駆けつけて見れば、そこは火事ではなく読谷山教会でした。」かなり誇張された話しだと思われますが、これほどまで霊に燃え、主に仕えていた信徒たちの証しは沖縄中に伝わっていたということではないでしょうか。

    「これが読谷山で起こったリバイバルの一シーンで、これを機に教会員の気風と生活態度は一変し、未信者たちにも大きな影響を与え、よって読谷山は模範農村になったと言われている。…特に信仰に燃える青年たちが増えるようになり、遂に読谷山教会にリバイバルが起こったということで、沖縄キリスト教界の話題になっていた。夜間の毛遊び(モーアシビー)や卑猥な歌を歌う変わりに、讃美歌が盛んに歌われ、読谷山は全く神の国の出現を見るようになり、農事に励み模範農村と言われるようになった。

    砂糖の生産が高まったことが評判になっていたので、島尻郡の各村から視察に行く人もあった。」〔『沖縄キリスト教史』沖縄キリスト教協議会編 島袋金章記p136〕加えて、R.ブル宣教師は「これは読谷山の我々の教会で、…ここで250人ほどの人々、すべて農民ですが、その人たちが異教の最も暗い道から抜け出し、福音を信じる悦びを得ています。

    その効果は彼らの家はもとより良く保たれ、農地は良く耕され…。彼らは良心が今現世の生、および来たるべき生の約束と共に何事にも有益であることを発見しました。」とコメントしています。

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名称 日本基督教団 読谷教会
牧師 具志堅 篤
TEL 098-958-5048
FAX 098-958-5048
住所 〒904-0321 沖縄県中頭郡読谷村上地38